虹色NOTEBOOK

日々の出来事 想いのままに……

大阪少年少女合唱団

(復刻改訂記事)

 

音楽が好き

私はお腹にいる時から、クラシック音楽を聴かされていたからか、遺伝か、音楽が好きな子でした。 歌も、聴くのも歌うのも好き。アニメは、オープニングエンディング全部ひっくるめて1つ。まるごと楽しんでいました! 休みの日には音楽の教科書の童謡や唱歌を一人歌って遊んでいました。

 

オーディション

4年生の音楽の授業の時、合唱団入団オーディションのお知らせがありました。 同級生4人で受けました。オーディションといってもパート分けテストだったのですが、子供心に一大イベント! 幼少からバレエで人前で踊る事は平気でしたが、話すのは恥ずかしくて恥ずかしくて声も出せないような子でした。よく「聞こえません」と言われていました。一人で人前で歌った事などありませんでした。 知らない男の先生の前でのオーディション!! 音楽の教科書を持って行って、授業でやっていた好きだった曲を歌いました。まさか伴奏を一人一人して頂けるとも、何~にも考えておらず、伴奏の譜面は書かれていない曲を歌う事にしていました。 でも先生はサラッと伴奏をされました。(本当に基礎からやっている、その道の人ならそれくらいは出来るものなのでしょうけれど) 音楽の先生の弾かれるのとは少し違うアレンジで不思議で興味津々な出来事。 人前で声も出せないような自分が……やる気満々。それら全て含めて、何だかすごい事! 感満ちていた。ワクワク面白楽しい緊張感! でした。

 

団の特徴

団員は小学3年生~高校3年生。年齢層が厚かった。当時は各市毎にあり、数多く存在した合唱団。とても人気ある流行っていた時代でした。私のいた団には、大阪府全域から集まっていました。 少年少女というよりもキレイで大人っぽい歌声。チラと聞いた話には「子供らしい純粋な歌声じゃないね」というものもありましたが、私は逆にそこが好きなところ、誇りに思っていました。お子ちゃまっぽくない、ホンモノ感が。

 

練習

大阪造幣局前の桜ノ宮公会堂で行われていました。 私は、友達と合流し、自宅から徒歩5分→バス25分→電車5分→徒歩25分。1時間以上かけて通っていました。 通常の練習は日曜10時~12時半。海外遠征や特別企画の抜粋メンバーに選ばれると、午後もお弁当持参で15時くらいまでやっていた。 第1週目だけ日曜ではなく土曜午後。お姉さんたちは学校帰りに制服のまま来ていて、その姿に憧れていました。(私もその中のお姉さんと同じ高校へ行く事になります。制服が決め手でした!)

練習では、まず発声練習、その日の練習曲を細かく少しずつ練習。先生がピアノを引きながらの指導。 複雑難解な曲では、各パートリーダー主導のパート練習がある場合もありました。休憩挟んだ後半は、先生の奥さま(大学講師)のピアノ伴奏で、先生は指揮をされ、仕上げていく流れでした。

 

活動と想い出

年間スケジュールは、定期演奏会、西日本大会の遠征(年毎、交替で各地、順に行われる)、余所の団の演奏会へのゲスト出演、各地のイベント出演、夏にはニ泊三日歌い尽くめ合宿がありました。 色んな劇場の舞台に立てて嬉しかったですが、その度、通常練習以外にも練習日が加わったり、毎回別の指定される練習場所に行かなくてはならなかった。忙しかったです。それでも皆集まっていた。 でもそれって凄いことだったんですね。

団のレコード出版もありました。私は入団して間もなくの頃で選抜メンバーに入れませんでした。参加していないし買いませんでした。とても残念な事をしました。後悔です。

民謡・わらべ歌を歌いながら、お手玉の色んな伝統技をやる、という企画演目があり、毎週特訓がありました……苦労しました。歌は歌でも、当時そういう系の歌は好きではなかった。

制服にひな壇、ではなく、変わった作品にも出演しました。私服でバラバラに立っていたり、移動したり、音楽劇?? のようなものもありました……意味わかっておらず、嫌だった記憶があります……

あの! 世界的なウィーン少年合唱団とも交流がありました。海外遠征も隔年行われており(希望者)「私らも中学になったら行こうね」と話していましたが、結局それまでに辞めてしまいました。

今になってやっと想うけれど、合唱団にしろ、学校もピアノもバレエも……残念な事ばかりをしてきましたね。もったいない時代を過ごしてきました……

ある年の定期演奏会では、讃美歌特集の演目。 選抜メンバーに遂に選ばれた! そういうのに憧れていたんです!  でも1回目の練習を欠席してしまい、初日の英語講習に参加出来なかった。カタカナ読みは兄に書いてもらったものの、やはり最初のにきっちり習う事。詳しい練習が受けれなかった為、分からないまま進んでいきました。聞いた事もない、似たような曲ばかり。メロディーも子供心にパッとしないし…… 何たって昔の小学生……英単語もほぼ全く知らない。意味不明なカタカナがただ並んでいるだけ。サッパリ覚えられない。結局、本番までわからないまま。全曲は覚えられず、むにゃむにゃ もごもご 本番で口パクさえ、やりようもありませんでした…… 間近で歌っていなくても、ちゃんと歌えているかはバレバレだったでしょう。先生がっかりされてただろうな……申し訳ないことをしました。もっと頑張れば良かった。でなければメンバーから外してもらえばよかった……失礼な事をしていました。

先生

大学教授でらっしゃいました。でも気さくで明るくパワフルで楽しい方。まさに太陽のように感じていました。 団員が、めちやめちゃ沢山いた時代ですが、私、超ー大真面目の大真剣に歌っていたからかな? 早々に覚えて頂けたようです。休み時間にもよく遊んでくださいました。 先生の作曲される歌は、伴奏、編曲も、ちょーゴージャスでカッコイイ!! 難しそうなものでした。 私が言うのもほんっと生意気ですが……指揮がうまい☆ センス、創造力、表現力、人を引き付ける吸引力、指導力、全て備わったお方! 自慢で誇りに思っていました。

退団

辞めてしまった事は、ずっと残念に想い続けました。歌も先生も好きだったから。バレエのレッスンがちょうど同じ日時だったんです。 定期演奏会に行きたくて、先生の曲を聴きたくて、4年くらい経った高校を風邪で休んでいたある日、先生のお宅にお電話したら、奥さま先生がお出になりました。 奥さま先生とは、ごあいさつ程度しか接点がなかったのに私の事を覚えてくださっていてビックリしました!! いつの間に!? 見ていてくださっていたのか……歴史ある合唱団。在籍していたのは一番多い時代のに。 嬉しくて、喜びパワーでフェッテ(バレエの難しい回転技)を回っちゃいました! 風邪で休んでいたのにスッカリ元気になりました。

団では、有名な合唱曲も歌いましたが、先生の創作曲を歌う事が多かった。どれも素晴らしく大好きな曲でした。楽曲本、楽譜の数々は、今も全部取ってあります。 先日、無意識に口ずさんだのは、初日に習った曲でした! 今一度……歌ってみたいなぁ……皆で。 出来るならば……あの時代に行って……